君までの距離 第二章 1


「僕、文芸部に入ってよかったです」
 数日が経ったある日の部活中、黒須くんがそう呟いた。
 それは、執筆をしながら黒須くんと「好きな作家」の話題で盛り上がっていた最中のことで、唐突に始まった別の話に、私は思わず原稿から顔を上げた。
 向かいの席で、黒須くんは開いた本に目を落としたまま、独り言のように語った。
「僕、まだクラスに馴染めていなくて。でも他の皆さんは短期間でどんどん親しくなって、一緒にお弁当を食べるような小さなグループはあっという間にできてしまって。何か、居場所がない気がしていたんです。……ほら、僕って読書しか趣味がないでしょう? 同級生と話そうにも、話題がないので、話が続かないんです」
 そこまで話した黒須くんは一旦口をつぐみ、上目で私の顔を窺って、「引きましたか?」と尋ねてきた。
「え?」
「引きますよね、こんな陰気な話を聞かせられたら。変なことを話してすみません」
「いいえ。その話は、私もちょっとわかるわ」
 黒須くんの言うことには少し共感できた。私も入学当初はクラスメイトとなかなか打ち解けられなかったし、趣味が読書と執筆だけというせいもあって、今でもクラスメイトの話す芸能やファッション、恋の話などについていけなくなる時がたまにある。
 黒須くんは本に目を戻し、話を続ける。
「でも、文芸部では、先輩はそんなつまらない僕を受け入れてくださって。嫌な顔せず話をしてくださるので、何ていうか、ここにいていいんだ、って思って」
「黒須くん」
 相変わらず自分を卑下するような黒須くんの言葉を聞いていられなくて、私は口を挟んだ。
「黒須くんはつまらなくなんてないわよ。私は、黒須くんの話を聞くのが純粋に楽しいもの」
「本当ですか?」
「嘘吐いてどうするの。本の話ができる人ってあまりいないから、貴重でもあるし、ね」
「僕もです」
 私の言葉を聞いた黒須くんは本を置き、小さく手を合わせた。
「先輩とお話ししていて、思ったんです。好きなことについてお話ができるって、こんなに楽しいことなんだ、って……。今まで、僕にはそういう相手はいませんでしたから」
 そう話す黒須くんは、静かな声を心なしか弾ませていて、とても嬉しそうだった。
 その時私は、卒業した先輩のことを思い出していた。
 私も、そうだった。同じ趣味を持つ先輩と、初めて小説について深く語り合った時は、本当に楽しかった。一人きりで活動を続けた昨年度も、決して楽しくないわけではなかったけれど、先輩と活動した一昨年、その一年間は特別な思い出だった。
 あの頃の先輩と私のような関係を、今度は逆の立場となって、黒須くんと築けたらいい。私が卒業する時、黒須くんにも、私と過ごした一年間は楽しかった、と思ってもらえるように。
 だから。
「先輩に出会えて、本当によかったです」
 最後に付け加えられた、恥ずかしくなるほど真っ直ぐな言葉を、私がどんなに嬉しく思ったか、きっと黒須くんは知らない。