光の旋律 第三章 その裏では


 時は少し遡る。
 周りから浮かない程度に女と踊りながら辺りにも気を配らなければならないのは意外と難しいな、と思い始めた頃。
「オーガストさん?」
 俺がそわそわしているのに気付いたようで、女は不思議そうに俺の名を呼んだ。
「ああ……悪い、便所に行きたい」
 どうかなさいましたか、と首を傾げる女に、何となく言いづらかったことを打ち明ける。
「また変な男に絡まれたら困るな。あんたもついてこい」
 そう言うと、女は素直に俺の後に続いた。
 大広間を出て、事前に案内されていた便所の位置を思い出しながら進んでいく。しかし俺は時々間違った方向に進んでしまうらしく、女が「こちらですよ」と軌道修正をしてくれることで無事に辿り着いた。
「ここで待ってろよ」
 そう言い置いて、俺は異様にだだっ広くきらびやかな便所に入った。先程初めて足を踏み入れた時には、何なんだここは、とぎょっとしたが、王宮の便所とは皆こんなものなのだろうか。カルチャーショックである。
 それはともかく、用を足した後に水道水で手を洗うと、頭がしゃっきりとした。ダンスパーティーという不慣れなものに参加して、多少緊張感もあったのかも知れない。
 さて、女のところに戻ろう、と一歩踏み出した時、不意に視界が真っ暗になった。
 停電。俺は慌てて女の元へ走った。俺は夜目が利くので、どんなに暗かろうと平気で歩き回れる。
「女、大丈夫か」
「オーガストさん……!」
 暗闇の中で女はオロオロしていた。
「大丈夫だ、俺はここにいる」
 そう手を取ると、女は安心したように微笑んだ。
「よかったです……びっくりしてしまいました。ありがとうございます、オーガストさん」
「そうか。俺が手を引く。歩けるか?」
「はい、歩けます」
 持ち場を離れたのが気掛かりで、ゆっくりとではあるが、俺達は大広間の方へと歩き出した。しかし。
(……ん?)
 人の気配がして、俺は足を止めた。
「オーガストさん?」
「ああ、いや……」
 会場にいた人間達とも、時折すれ違う使用人とも違う妙な雰囲気を感じた。そもそも暗闇を俺並みに平気で歩ける人物というのも何だか不思議なものな気がして、俺は踵を返した。
「あ、オーガストさん、どちらに……」
「悪い、あんたはここから動くな。ちょっと気になったことがあるから――」
 と言った途端、電気が復旧して辺りが照らし出された。「ひゃっ」と可愛い声を上げて眩しそうに瞬きを繰り返す女。女の視界が落ち着くまで見守っていると、女はふと呟いた。
「リヒトさん」
「半人前?」
 見ると、俺が妙な雰囲気を感じた方向をつけ狙うかのように慎重に歩みを進める半人前の後ろ姿があった。
 半人前は姫の警護に当たっていたのではなかったか。何故一人でふらふらしているのだろう。何となく嫌な予感がして、俺は言った。
「女、石頭を連れてこい」
「グレイシアさんを?」
「ああ。俺は半人前を追う」
 女は俺の嫌な予感を感じ取ったらしく、「わかりました」と駆け出した。


 そして今に至るのだが――。
「リヒト、お前はまた無茶なことを!」
「す、すみません、グレイシア教官!」
 先程から半人前は石頭にこっぴどく絞られている。何でも、俺が反射的に蹴り飛ばし殴り飛ばした男こそがこの間半人前を襲った奴らしい。そんな因縁の相手だったわけだ。何も知らずに追い掛けたのだが、半人前が無事で何よりだ。
 すると、怒りが鎮まったらしい石頭が、俺を振り返った。
「今回は私もリヒトを助けられなかった。一応貴様にも礼は言おう」
「そうか」
 しかし石頭に礼を言われてもあまり嬉しくないな、と俺は思った。女から言われる「ありがとうございます」には思わず顔が綻びそうになるのだが、何の違いだろう。
「とりあえず、警備に連絡は入れた。これから王宮の中もバタバタすると思うから、貴様はフィーユさんと一緒に休んでいてくれ」
「わかった」
 俺が頷くと、女は「何かお手伝いできることはありませんか」と申し出た。優しい女だな、と思う。
「大丈夫ですよ。でもお気持ちは嬉しいです。何かありましたらお声を掛けさせてください」
「そうですか……」
 俺はちょっとしょんぼりとする女の肩を抱いて、割り当てられた部屋に入った。ここもまた無駄に広い一室である。
「オーガストさん、お疲れになりましたか?」
「いや」
 と首を振ってから、「まあ、ちょっとな」と言い直す。
「だから、肩揉んでくれないか」
「お任せください」
 女は嬉しそうに、ソファに座った俺の背に回って肩に触れた。
 その時の俺は、これで女の気が少しでも紛れればいいなと思って頼んでみただけで、女のマッサージの腕がプロ顔負けで気付くと爆睡してしまうことになるとは知る由もなかった。