光の旋律 第三章 闇に紛れて


 シェイド・ローウェルに怪しい動きはなく、つつがなく舞踏会は続いた。
 アリアさまは婚約者である隣国の王子と舞い踊り、幸せそうなお顔を見せていた。その傍らで、グレイシア教官と俺はさりげなく周囲に目を光らせる。
(このまま問題なく終わりそうだけどな……)
 そう思い、俺は少し気を抜いてしまったのかも知れない。
 突然、フッと視界が暗くなった。光をなくした会場がざわつく。停電だ。
「アリアさま!」
 真っ暗だが、微かな月明かりが俺の目を助け、グレイシア教官がアリアさまに駆け寄った影が見えた。
 続いて、ガシャンと大きな音が響いた。
「きゃっ」
 アリアさまの小さな悲鳴が聞こえた。俺は何が起きたのかわからず、その場でオロオロすることしかできなかったが、電気はすぐに復旧し、辺りが照らし出された。
 すると、天井で煌めいていたはずのシャンデリアが床で粉々になっていた。グレイシア教官とアリアさまの、すぐ隣で。
「皆さま、危険ですので近寄らないでください! すぐに片付けます」
 アリアさまを庇ったグレイシア教官が、混乱する会場に凛とした声を響かせた。
「アリアさま、お怪我はありませんか」
「ええ、大丈夫ですわ。でも……」
 怯えたように落下したシャンデリアに目を向けるアリアさま。一歩間違えれば大怪我だっただろう。グレイシア教官はアリアさまを安心させるように優しく抱き締めている。
 王宮のメイドさんがシャンデリアを片付ける。飛び散った破片も丁寧に取り除かれ、舞踏会は再開された。だが、もう進んでダンスを楽しもうとする者はいなかった。会場はざわめいている。
(あれ?)
 ふと違和感を覚えた。ダヌアの姫君の隣から、先程まで警戒していたシェイド・ローウェルの姿が忽然と消えている。
 グレイシア教官に伝えなければと思ったが、グレイシア教官は不安げな瞳をしたアリアさまを近距離で宥めている。この情報を伝えようとすれば、必ずアリアさまの耳にも入ってしまう。アリアさまにこれ以上の不安を与えたくはなかった。
 俺はそっと持ち場を離れ、一人でシェイド・ローウェルを探すことにした。
(ただのお手洗いだった、とかだったらいいけど)
 何となく胸騒ぎがする。そんな呑気なオチでは終わってくれなさそうだ。
 大広間を出て、さあどこを探そうか、と俺が辺りをきょろきょろと見回すと、螺旋階段の最上段でコートの裾が翻ったのが見えた。それは、シェイド・ローウェルが身に着けている黒のロングコートだった。俺は足音を立てないよう気を付けながら、その後を追った。
 城の長い廊下を悠然と歩いてゆくシェイド・ローウェル。そしてある扉――アリアさまのお部屋の扉の前で立ち止まり、こちらに目を向けた。
「おや、先程の騎士さまですね」
 彼は俺を見て目を細める。先日の戦闘を思い出して俺は少し怯みそうになったが、できるだけ毅然とした態度で言った。
「ここは姫の部屋です。アリアさまに何かご用があるのでしたら私からお伝えいたします。何より、今は施錠されていますから。勝手に入室することはできませんよ」
「そうですか」
 そう言いつつ、彼は扉の鍵穴に手を近付け、何かを唱えた。するとカチャンと錠が外れる音がした。
「ちょっ、話聞いてました!? 勝手な入室は許されませんよ!」
 俺は彼に駆け寄り、腕を掴んで引き止める。
「しつけえなぁ……」
 彼は気怠い声色で呟き、俺の腕を振り払った。急に態度が変わった。それは先日俺を襲った彼と同じ雰囲気で、俺の背に一筋の汗が伝った。
 彼が続ける。
「アンタは俺の気に障るんだ。大した実力もなく、ヘラヘラ笑っているだけなのに国の平和を守っていると錯覚している夢見心地の騎士は反吐が出る」
「そ、そんなことは……」
「今ここで俺がすることを見て見ぬ振りをするっていうなら、剣の錆にはしないでおいてやるがな。さあ、どっちがいい」
 そう問われ、俺は彼を見据え、腰に携えている剣に手を掛けた。彼がこれから何をする気かは知らないが、俺だって――。
「レゼルに仇なす者を黙って見送るほど、俺だって腐っちゃいない!」
 俺が強く言い切ると、彼の顔には歪んだ笑みが浮かんだ。
「そうか……ははは、ははははは!」
 彼は剣を抜き、笑いながら俺に切り掛かってきた。
 俺は重い一撃を刃で受け止め、弾き返すように剣を振るう。隙を見せないよう、素早く体勢を整え、次の攻撃に備える。そうやってしばらく一進一退の攻防を続けたが、彼は常に余裕の表情だった。
「アンタは弱いなぁ。俺が本気を出していないことがわかるくらいではあるようだが」
 言いながら、彼は俺の剣を弾き飛ばした。獲物を奪われ丸腰になった俺に、彼が切っ先を突き付ける。
「あの女騎士なら、もうちょっと手応えはあっただろうがな。まあアンタは黙って見ていろ。大丈夫だ、レゼルの人間は誰も殺しはしないさ。ただ、俺は俺の目的があるだけだ」
 そう言って彼は自身が魔法で開錠したと思われるアリアさまの部屋の扉に手を掛けた。
(申し訳ありません……グレイシア教官)
 俺が自分の無力さに目を伏せた時、俺の横を駆け抜けた影があった。その影は、シェイド・ローウェルに振り返る暇を与えず、彼の脇腹を強く蹴り飛ばした。
「ぐっ……」
 突然の攻撃に、シェイド・ローウェルは体勢を崩した。何が何だかわからずにいる俺に、その人物は。
「大丈夫か、半人前」
 そう尋ねながら、床に転がっていた剣を拾い上げて俺に手渡した。半人前――俺をそう呼ぶのは、世界でたった一人しかいない。
「オーガストさん……!」
 オーガストさんが、庇うように俺の前に立ちはだかる。その頼もしい背中に、俺は胸が熱くなった。
「状況がさっぱりわからないんだが……何だ? あの女顔をこの部屋に入らせなけりゃいいのか?」
 オーガストさんは困惑しているようだった。正直なところ俺も状況はよくわかっていないので、今ここに来たばかりのオーガストさんが戸惑うのも無理はない。
「は、はい。ここはアリアさまのお部屋なので」
 そうか、と呟き、オーガストさんが彼を睨み付ける。
「こいつは俺の大事な女の仲間だ。傷付けられたら女が悲しむ。俺はあの女を守りたいだけだが、悲しい顔も見たくはない」
「ったく、邪魔が入るなぁ……」
 彼は少し顔を顰め、オーガストさんに切り掛かった。だが、オーガストさんは振りかざされた刃に怖じることなく、一気に彼の懐に潜り込み、拳を叩き込む。
 オーガストさんの攻撃を食らってフラフラとよろけながら、彼は愉快そうに笑った。
「ハハ……、アンタも『いい』な……。長物を恐れず間合いを詰める……度胸がないとできない判断だ」
「俺はあんたらと違って剣なんて高尚な武器は握ったことがないんでな」
「そうかぁ……レゼルも捨てたもんじゃないんだなぁ……アンタとなら楽しめそうだ」
 ぎらついた眼をオーガストさんに向ける彼。
「オーガストさん、危ないです! 下がってください!」
 剣を取り戻した俺は、慌てて二人の間に割り込んだ。いくらオーガストさんが強くても、剣士を相手に素手で戦い続けるなど危険極まりない。
 その時。
「リヒト!」
「リヒトさん!」
 俺を呼ぶ声がした。目を向ければ、グレイシア教官とフィーユさんがこの場に駆け付けていた。
「四対一か……それも悪くはないがなぁ。仕方ない、その浅黒い男の強さに免じて退いてやるよ。俺もまだ鍛える余地があると知れただけで満足だ」
 そう言って、彼は高笑いを響かせながら廊下を駆けていった。