光の旋律 第二章 心の準備


 グレイシア教官が、パンの入った小さな紙袋を俺に差し出した。
「ほら、昼飯だ」
「ありがとうございます」
 袋に入った数種類のパンの中から、バタールを選んで取り出し、残りをグレイシア教官に返す。グレイシア教官はクロワッサンを手にして椅子に腰を下ろした。
 あれからグレイシア教官は一通りアリアさまとお話を終えると、今晩の警護について話がしたいと、昼食を取りながら俺と二人きりになることを望んだ。そこで、王宮からそれほど離れていない位置にある有名なベーカリーに立ち寄り、気軽に食べられるパンを掻き集め、店の前にあるテラス風の飲食スペースで、俺達は食事を始めたのだった。
「オーガストさんとフィーユさんは上手くやっているでしょうか?」
 俺はグレイシア教官の隣の椅子に座ってパンを齧りながら、いつの間にか別行動となってしまうことになった二人を案じた。
「フィーユさんがしっかりしているから、大丈夫だろう。それに、あれでいて、あの男もちゃんと自らの役目は弁えているからな。心配ないさ」
 グレイシア教官の言葉に、俺は安心して「そうですね」と頷いた。グレイシア教官とオーガストさんは顔を合わせる度に口喧嘩になっているように見えたが、何だかんだ言ってグレイシア教官もオーガストさんのことを仲間として信頼しているようだ。
「で、話はアリアさまの警護についてだ」
 グレイシア教官がそう話を切り出した。
「アリアさまもお前のことはお気に召したようだし、お前が私の補佐をすることには支障はないと思うから、それは心配していない。ただ、問題はここからだ」
「何か気になることがありましたか?」
「今宵の舞踏会には、ダヌアの姫君も参加するのだそうでな。まあ、これまでダヌアとレゼルは表向きには友好関係にあったから、何も不思議ではないが。だが、一つ懸念すべきことがある。その姫の警護を主に担当しているのが、先日リヒトが出会したと思われる男――シェイド・ローウェルなのだそうだ」
「この間の」
 先日俺を襲った男性騎士を思い出す。出会った瞬間の穏やかな微笑と、倒れた俺を見下す嘲笑と確かな殺気。その二面性に、思わず背筋が冷たくなる。
「私達の任務――今日の警護ではなく、旅に出る極秘任務の方な。それは現段階では『警戒』だ。まだ、ダヌアは戦争を仕掛けてきたわけではないからな。彼が舞踏会に現れたからといって、まだ捕らえる理由にはならない」
「そうですよね……」
 会場で彼と顔を合わせることがあっても、今の俺達は、警戒することしかできないのだ。グレイシア教官は「だが」と続ける。
「彼が、何もしてこないという保証もない。何が起きても対応できるよう、心構えだけは怠るな」
「はい!」
 もう二度と、先日のような失態を犯しはしない――と、俺は気合いを入れ直す。
「いい返事だ。頼りにしているぞ」
 そう言って、グレイシア教官は俺の頭をぽんと叩いた。



 それから時は流れ、あっと言う間に午後七時を迎えた。
 王宮の前には、招待を受けた各国の殿下、貴族令嬢・令息、その護衛達が列を作っている。
「そろそろだな」
 その様子を階上の窓から眺めていたグレイシア教官が、窓から離れて俺を振り返った。
「大丈夫か?」
 俺を気遣ってくれるその言葉。俺は迷いを振り払うように強く頷いた。
 新米だろうと、半人前だろうと、俺はもう騎士となった身。数々の困難を、超えていかなくてはいけない。心の準備を整える時間は充分もらったのだ。
「そうか」
 そう言うグレイシア教官の口元は強気な笑みで彩られていた。
「では、アリアさまの元へ。行くぞ、リヒト」
「はい!」
 俺はグレイシア教官に続いて一歩踏み出した。
 そうして、今宵の舞踏会が幕を開ける。