heavenly blue 第三章 幼い天使


 その日の夜、私がお風呂から上がると、凪さんはベッドで横になっていた。
 私はベッドの、凪さんの邪魔にならない位置に腰掛ける。スプリングがギッと軋んだが、凪さんは目を覚まさない。
 そこから凪さんの顔を見つめる。寝顔は本当に可憐な天使なのだけれどな、と思った。とはいえ私も大分慣れてきたので、冷たい態度も可愛らしく思えるようになってきているけれど。
 それにしても――。私は今日起きた出来事を改めて思い返してみる。美々部長や綴喜くんの元にも凪さんと同じように天使の少年が現れていたとは。
 パートナーの契約に足踏みをしている私だが、数日後、私は凪さんの手を取ることを決意しそうだ。それは同じ立場にある身近な人を見付けたからではなく、これまでの生活の中で凪さんを信頼することができたような気がするからである。
 側にある美しい寝顔を見つめ、ふふ、と笑みを溢したその時だ。
 突如、部屋に旋風が巻き起こった。窓も開けていない部屋で、突然。
 思わず目を瞑った。風が静まってから、そっと目を開けると、そこには変わらず横になっている凪さんがいた。
 ――が。
「……え?」
 私はそう声を漏らした。凪さんがいる、それに違いはない。けれどそれは、どう見ても先程と同じ光景ではなかった。
「な、凪さん……?」
 思わずそう声を掛けてみる。するとその凪さんは、ゆっくりと目を開けた。
「ん……、何……?」
 瞼を擦りながら身体を起こす凪さんは、私の知る凪さんではなかった。具体的に言うなら、そう。
「誰?」
 いつもより高い声が、私に言う。
 そう、その凪さんは私が知る凪さんより明らかに「幼かった」。
「ええと……凪さん、ですよね?」
「そうだけど。君、誰」
 見慣れた凪さんから身長を引いて、可愛らしさを足して、そしてちょっぴり小生意気さも足したような小さな凪さんが警戒した様子で私を睨む。
「ここ、どこ?」
 きょろきょろと辺りを見回す小さな凪さん。
「私の部屋です」
「何? 誘拐?」
「い、いえっ、そういうわけでは」
 何をどう言ったらいいのやら。私はかいつまんで説明した。
「あのですね、ここには元々中学生の凪さんがいて、私はそのパートナー候補とやらであるらしいんです。それで、凪さんを居候させていたんですが……」
「ふうん、例の中等部の卒業試験か。じゃあここは未来の人界なんだ」
「はあ、多分」
「どうすれば戻れるの……って、ただの人間の君に聞いたって無駄か」
 はあ、と溜め息を吐かれた。そして、不意に真面目な瞳が私を捉える。
「戻れるまで、ここに置いて」
「え?」
「未来の僕を居候させてたんでしょ。なら別に僕がいてもいいよね?」
「え、あ、ええ、まあ」
「決まり」
 何と言うか、今までの凪さんより強引である。
「凪さん、あまり驚いていませんね」
「別に。天界では時間移動はよくある話」
 混乱する私とは裏腹に、凪さんはこの歳でも至ってクールであった。
「あの、凪さん。あなたは今おいくつなんですか?」
「十歳」
「ということは、私の知る凪さんより四、五年前の凪さん、と」
「そう」
「どうしてこうなったのかの見当は」
「こっちが聞きたい」
「ですよね……」
 ひとまずは、この小さな凪さんの相手をしなければならないようだ。大丈夫かな、と私が不安になっていると、凪さんは言った。
「君の名前は?」
「あ、志麻です。時雨志麻といいます」
「ふうん、時雨志麻」
 相変わらずフルネームで私を呼ぶと、凪さんは無表情で続けた。
「戻れるまで、よろしく」