heavenly blue 第三章 蒼い薔薇


 携帯電話が、七時を告げる電子音を鳴らす。
「ん、うー……ん」
 私は目を閉じたまま右手でヘッドボードを探り、そこにある携帯電話を何とか掴んで、布団の中へ引きずり込んだ。寝ぼけた頭でアラームを止めたところで、はっとした。
 凪さん。
 彼のことを思い出した私は、即座に覚醒して飛び起きた。そしてすぐ、昨夜凪さんが眠っていた、部屋の隅を見やる。
 そこには彼の影も形もなかった。
(……え?)
 私は、室内をきょろきょろと見回した。それでも、凪さんは見当たらない。
(まさか、また――)
 また外へ出ていってしまったのだろうか。昨日、雨に濡れていた凪さんを思い出し、胸騒ぎがした。幸いにも今日は天気がいいし、まだ朝であるが、何が起きるかわかったものではない。
 凪さんを捜しにいかなければ。そう思い、ベッドを抜け出そうとした時、がらっ、と音を立てて窓が開き、色白の少年がひょこんと顔を出した。
 一応付け加えるが、ここは二階である。梯子も何も使わずに窓から侵入するテクニックを持ち合わせている者などいるはずがない。先日知り合った、たった一人を除いては。
「……おはよ」
 窓から私の部屋に入ってきた美少年――凪さんは、小さく言う。
「……おはようございます」
 凪さんの声のトーンにつられて静かに言いながら、私はほっと息を吐く。よかった、どこかへ逃げてしまったわけではなかったのだ。
「どこへ行っていたんです? こんな朝早くから」
 私の問い掛けを無視し、凪さんは無言で私の前までつかつかと進んできた。ベッドに下半身を埋めたままの私の目の前に、彼の手が突き出される。彼の透き通るように白いしなやかな手を見て首を傾げると、凪さんはパチンと指を鳴らした。
 すると。
「わあっ」
 私は思わず驚きの声を上げた。何もなかったはずの凪さんの手の中に、突然、美しい青薔薇が一輪、現れたのだ。
「わ、何ですか、これ。手品ですか?」
 そっと薔薇の花弁に触れ、私は弾んだ声で言った。対して凪さんは「別に」と冷たく答えた。
「天使に元々備わってる能力の一つなだけ」
「素敵ですね」
「天使は、よくこれをする」
「そうなんですか」
「そう」
 どんな状況下でもできるわけじゃないけど、と付け足される。ということは、これをするために、凪さんは外へ出ていたのだろうか。
「ええと、私にくださるんですか? このお花」
 尋ねると、凪さんがうんざりしたように「それ以外にないでしょ」と言ったので、私は「ありがとうございます」と礼を述べて、その薔薇を掌で包み込むようにして受け取った。
「あ、枯れないようにしないといけませんね。花瓶、持ってきます」
 とベッドを出ようとした私を、凪さんが止める。
「それは水がなくても余程のことがなければ枯れない」
「へえ……じゃあ、余程のことって?」
 その質問には、凪さんは答えなかった。彼は部屋の隅に腰を下ろし、昨夜と同じように壁にもたれて目を瞑った。
「寝るんですか?」
 驚いて聞いた私に、ん、と返事らしきものを発して、凪さんはこれまた昨夜同様、すぐさま寝息を立て始めた。……天使が二度寝をしてしまった。
 凪さんが再び眠りに就くと、私は彼からもらった薔薇を眺めて、ふふ、と笑みを溢した。やはり花をプレゼントされるというのはとても嬉しい。贈り主が凪さんだから、尚更だった。
 その、深いブルーの薔薇の花は、凪さんの姿と同じように、神々しく見えた。