heavenly blue 第二章 寝床


 あれから。黙々と本を読み続ける凪さんに倣って、私も昨日買った文庫を開いた。
 私達は相変わらず無言だったが、もう居心地の悪さは感じなかった。同じ空間で、それぞれ好きな本を読んでいる。それが凪さんと私の正しい過ごし方のようにも思えた。
 そんなことをしながら、夜は深まっていく。そろそろ寝る準備をしようと、一階に下りてお風呂に入り、寝間着に着替え、少しテレビを見てから部屋に戻ろうとしたところで、私はある問題に直面した。
 今夜、凪さんをどこで寝かせたらいいのだろう。今更、そのことに気が付いた。
 私の部屋のベッドはシングルサイズだ。たとえダブルだったとしても男の子と一緒に寝るわけにはいかない。しかし私の家には余分な部屋も寝具もない。唯一寝られそうな場所といったら、リビングのソファだが――。
 一人で考えていても埒が明かなそうだったので、自室に戻った私は、本人に聞いてみることにした。
「凪さん、今日どこで寝ます? うちにはソファくらいしか横になれそうなところがないんですけれど」
 ベッドに腰掛けて本を読み耽っている凪さんに尋ねる。すると凪さんは手にしている本をぱたんと閉じ、ベッドを立って部屋の隅まで歩くと、足を投げ出して床に座った。
「ここでいい」
 そう言って、壁にもたれて目を閉じる。
「え?」
 私は目と耳を疑った。こんな場所で、座ったまま寝るつもりだという。
「駄目ですよ、そんなの休んだことになりません。今日は私のベッドを使ってください。私、ソファで寝ますから」
 慌てて言った。昨日、凪さんは一晩中雨に打たれていたというのだから、今日は身体を温かくしてゆっくり休んだ方がいい。
「ほら、こちらで寝てください」
「…………」
 返答がない。
「凪さん?」
 呼び掛けても、凪さんは目を瞑ったまま動かなかった。小さく開いた唇から、規則正しいリズムで静かな呼吸の音が聞こえてくる。
 私は凪さんの傍らに膝をつき、手を伸ばして、そっと肩を揺すった。
「あの――」
 ゆさゆさ。
「…………」
 凪さんは、電池の切れたロボットのように無反応だった。
 驚くことに、凪さんはこの一瞬で眠りに落ちたらしい。
 呆気に取られた。こんな落ち着かない場所ですぐに寝付けるなんて、人間業ではない。……あ、実際に人間ではないのだったか。
「凪さん、起きてください。寝るならベッドで寝てください。お願いですから」
 言いながら強めに揺さぶってみたが、目を覚ます気配は全くなかった。熟睡しているようだ。
 凪さんの寝顔は、幼くて可愛らしかった。その顔を見ていると、無理矢理起こすのは可哀想な気がして、私は凪さんから離れた。仕方ない、ちゃんとした寝床は明日考えるとして、今日はここで寝ていてもらおう。
 私は凪さんの身体にタオルケットを被せてから、煌々と点った照明を消そうと、天井から伸びる紐に手を掛けた。
 そこで、はたと気付く。
(私がいつも通りベッドに入ったら、男の子と同室で寝る、ということに……)
 それはまずい。
(どうしよう)
 先程自ら言ったように、一階のソファで寝るべきだろうか。だが、私がソファで寝ているところをお母さんに見られたら、「こんなところで寝ないで自分の部屋に行きなさい」と注意されてしまう。そして結局、凪さんのいる、ここに戻ることになる。
 私はちらりと凪さんを見た。凪さんは部屋の角に寄り掛かってすやすやと眠っている。その無垢な寝顔から、危険な香りは微塵も感じられなかった。
 迷いは薄れ、私は電気を消してベッドに潜り込んだ。
 凪さんが私に何かしてくるなんて考えられない。そもそも、私には男の子から手を出されるような魅力は備わっていないと思う。淡泊そうな凪さんには何の毒にもならないだろう。
 真っ暗になった部屋のベッドの中、掛け布団を鼻先まで引き上げ、目を閉じた。
 しかし、何もないとはわかっていても、側にいる凪さんが気になって、すぐには眠りにつけそうになかったのだった。