heavenly blue 第一章 出逢い
私の家の前の小さな通りに、誰かが立ち止まっていた。
不意に吹き付けた強い風に弄ばれ、彼の藍色のショートカットが無造作に掻き乱される。それを気にすることもなく、彼はじっと、私の家の二階にある、私の部屋の窓を見上げている。
その時私は、彼の後ろ側から、家に向かって歩いていた。左手に学生鞄を提げ、右手には文庫本の入った紙袋を持って。
下校途中、少女小説の新刊を買うために近くの書店に寄った帰り道。その新刊は小学生の頃から好きなシリーズの続刊なので、平積みされた文庫の中に目的の表紙を見付けた時は胸が踊った。早く家に帰って読もう、と思うと足取りも軽くなるというものだ。私は、前の巻までの物語の内容を思い返しながら、帰路を辿っていた。
だが、家まで数メートルと迫った時、私の部屋を見上げる人の姿を見付けた私の頭からは、楽しみにしている本のことが一旦消え失せ、気が付けばその横顔に見入っていた。
つり上がった目元、すっと通った鼻筋、口角の下がった薄い唇。それらのパーツが絶妙な配置で収まった綺麗な横顔。白皙の美少年がそこにいた。
年の頃は十代半ばだろうが、私よりは幼そうだった。彼のクールな顔立ちは冷ややかな印象を与えるものの、どことなくあどけなさが残っているし、身体はかなり小柄で細身だ。
彼は、ケープと言うのだろうか、肘までの丈の、袖のない服を羽織っている。その下から覗くのはワイシャツ、細い足を包むのは黒のスラックス。
しかしそんなことより目を付けるべきは、彼が背にくっ付けている妙な物だ。
背を覆う白い物体は、翼のように見えた。鳥が空を飛ぶための、それである。
劇団の子、などであろうか。人間にそんな物が生えているはずはないから、その翼は作り物だろう。よくできた衣装だった。
それにしても、彼は一体こんなところで何をしているのだ。彼は、身動き一つせず、私の部屋に顔を向けて立っている。
私の家は、ごく普通の一軒家である。私にとっては大好きな我が家だが、他人がわざわざ足を止めて眺めるような価値はない。私の部屋にも変わったところなどは何もなく、そもそも窓には空が反射していて、中の様子を知ることはできない。
不思議に思いながら彼を見つめていたその時、ふと、彼がこちらを振り返った。
初めて正面から見た顔は予想通りとても美しかった。人形のように端正な顔のグラン・ブルーの瞳が私を見つめ、私はその深い色に吸い込まれそうになる錯覚にとらわれ息をのむ。
彼と見つめ合った数瞬。はっとした私が会釈をすると、彼はふいと顔をそらし、そのまま私に背を向けた。
そして、背の翼を広げ、アスファルトを蹴って、空へ飛び立った。
――って。
(――っ!?)
驚愕は声にならなかった。
(な、な、な!?)
声にならない声が、ぱくぱくと動く口から、空気となって漏れる。私は目を疑い、手の甲で瞼を擦った。
再び目を開いた時、彼の後ろ姿は、建ち並ぶ民家の屋根の高さを漂っていた。翼を強く羽ばたかせ、彼の身体は更に上昇する。
彼は弧を描いて角を曲がり、私の視界から消えていった。
取り残された私は、間抜けにぽかんと口を開け、目を丸く見開いて、呆然と立ち尽くした。
一体何が起きたのか。今の出来事は現実なのか。
私は混乱する頭を持て余したまま五分ほどその場で硬直し、やがて我に返ると、思わず声を上げた。
「何なの、今のは!?」