heavenly blue 序章 時雨志麻


 幼い頃触れた児童文学の、煌めくような世界を、今でも鮮明に憶えている。
 それは、クリスマス・イヴの夜、少女の元に天使が舞い降り、共に異世界を巡る、という物語だった。二人は手を取り合い、不思議な旅をしていくのだ。その世界の、何と美しく魅力的なことだったか。
 その時味わった感動を胸に抱いた私は、ファンタジーを扱った小説に惹かれていき、毎日読書に耽るようになった。
 あまりに夢中になり過ぎて、幻想世界の物差しを現実の尺と勘違いした私の行動は少々痛々しいものがある。魔法を操る少年少女の話を読んだ時には、拾ってきた枝を削って小さな杖を作って、振りかざしながら呪文を唱えてみたし、空飛ぶ魔女の話を読んだ時には、箒に跨がって結構な段差から飛び降りて捻挫した。他にも様々な物語の影響を受け、真似っこを散々繰り返した。当然ながら、一度たりとも何かが起こった例しはない。
 子供のごっこ遊びと言われればそれまでだが、彫刻刀で黙々と枝を削いでいる時や、祖父母の家の倉庫から大きな箒を持ち出した時、いつだって私は本気で非現実が現れることを望み、願って行動をしていたのだ。因みに当時私は小学校五、六年生という、子供にしてはそこそこの歳だった。
 そうやってファンタジーに浸りながら小学校を卒業した私だが、中学時代はさすがに、可笑しな真似をすることはなかった。ただ、相変わらずファンタジー小説は好きで、しかし小学校までとは違い、普通にフィクションとして楽しんでいた。それはそうだ、そろそろ夢から覚めなければ電波さんである。
 私はつつがなく中学校の三年間を過ごし終えると、家から一番近い一般的な公立高校に受かった。高校生になった私は、勉強も部活も友人関係もほどよく楽しんで、無事二年へと進級した。高校の勉強は難しいところもあるがそれなりに面白いし、所属する演劇部では文化祭で行った劇がなかなか好評だった。わりと人見知りの私にも親友と呼べそうな友人ができ、高校生活は充実している。
 一方で、近頃教室内でちらほらと見られるようになった恋愛の話題には全くもって縁がなく、それほど興味もないので、片想いすら経験しないまま今日に至ったわけだ。
 将来のヴィジョンはというと、何となくやりたいと思えることはある気もするが具体的には決まっていない、という曖昧な、しかしありがちなもの。
 そんな、平凡を絵に描いたような高校生が、今の私――時雨志麻しぐれしまである。
 昔、ファンタジーの世界に心から憧れた私が目にしたなら落胆しそうな何の変哲もない毎日だが、今の私にはこの日常が楽しかったし、平穏は幸せだった。
 そして新年度も一ヶ月が経過して、私はやはり昨年度からさほど変わりのない日々を送っている。

 いや、訂正しよう。
 送っていたのだ、この日までは。