薔薇の花束


 三月十四日。
「オーガストさん、お茶が入りました。どうぞ」
「ああ、悪いな」
 女が淹れてくれた紅茶を一口飲む。その日も俺は、昼下がりは女と一緒に中庭で寛いでいた。
 その時丁度、中庭に半人前が小走りでやってきた。半人前は女に笑い掛ける。
「あ、よかった。フィーユさん、いらっしゃいましたね」
「あら、リヒトさん。リヒトさんもお紅茶いかがですか」
「いえ、今は遠慮しておきますが……それより、先月はありがとうございました。これ、ささやかですがお返しです」
 そう言って半人前は小さな包みを女に手渡した。
「まあ、お気遣いなさらなくてよいのですよ」
「チョコレート美味しかったです。ありがとうございました」
 その会話に俺は首を傾げる。が、それより何より、女が半人前から受け取った包みを嬉しそうに胸に抱いているのが気になった。……ヤキモチである。
 俺はそのまま立ち去ろうとする半人前を引き止めた。
「おい、女に何渡したんだ、半人前」
「先月のバレンタインデーのお返しです。そう言えばオーガストさんもいただいていましたよね。何かお渡ししましたか?」
 意味がわからず、クエスチョンマークを飛ばしながら半人前と女を見比べた。すると半人前は、声を潜めて俺に言った。
「あの、オーガストさん、ホワイトデーってわかります?」
「……白い日か?」
「バレンタインデーに贈り物をいただいたら、今日お返しの品を渡すのが一般的らしいんですけど」
 バレンタイン。確か一ヶ月前に、女からマフラーを貰った日がそんな名前だった気がする。
 そこで俺はようやくハッとした。そうか、バレンタインの返礼をする日なのか、今日は。
 半人前はちゃんとそれを実行したのに、俺ときたら、何も用意していない。呑気に女が淹れてくれた紅茶を飲み、女が作ってくれたクッキーを次々口に入れていた。
 俺は慌てて紅茶を飲み干し、席を立った。
「オーガストさん? もう戻られるのですか?」
 という女の声に返事もせず、俺は早足でその場を後にした。


「返礼か」
 呟きながら、俺は花屋の前で立ち止まった。
「いらっしゃいませ」
 若い女店員が俺を見て気さくに声を掛ける。ここにしようと決め、俺は店内に足を踏み入れる。
「薔薇とかあるか?」
「ありますよ。贈り物ですか?」
「まあな」
 何を贈ればいいのか考えたが、俺にとっては贈り物と言えば花くらいしか思い付かなかった。それに女は、多分花は好きだ。いつも幸せそうに花壇の手入れをしている姿を俺は見ている。
 花束を作ってもらった俺は、それを持って走って宿屋への道のりを辿っていった。
「あら、オーガストさん、お帰りなさいませ」
「女」
 戻ってきた俺を見付けて微笑んだ女に、すぐさま花束を差し出す。
「遅くなって悪い。先月の礼だ」
 俺は気の利いたことが言える男ではない。だから、花に全て想いを託した。
「オーガストさん……」
 女は目を瞬かせた後、笑顔で花に手を伸ばした。
「ありがとうございます、とっても綺麗です」
 喜んでくれた様子の女にほっとする。
 そして、その笑顔が半人前に向けたものと少しだけ質が違っているのがわかって、俺はちょっと満ち足りた気持ちになったのだった。


fin.
2022年のifホワイトデーSSでした。
書く予定はなかったので特にオチのある話ではないですが、お返しさせたいなと思い、突発的に。
オーガストはよく花を贈る人です。