あなただけ特別
二月十四日。
「オーガストさん、少しよろしいでしょうか」
ふらふらと宿屋のロビーにやってきた俺を見付け、女が走り寄ってきた。
「どうした?」
「今日は別の世界ではバレンタインという祭日だそうなのです。ある国では、女性から男性に、親愛や感謝の想いを込めてチョコレートを贈る日なのだとか」
「ふうん」
と何気なく相槌を打ってから、もしや、と淡い期待が生まれる。その期待に応えるように、女は後ろ手に持っていた可愛らしい包みを俺に差し出した。
「素敵な習わしだと思ったので私も用意してみました。受け取っていただけますか?」
「俺にか?」
「はい、いつもありがとうございます」
勿論、断る理由などない。俺が包みを受け取って礼を述べようとした時、半人前が通り掛かった。
「あ、リヒトさん。リヒトさんにもご用意させていただいたのですよ」
と言って、そちらに歩いていってしまう女。
「え? ああ、フィーユさん。何ですか?」
「バレンタインのチョコレートです。よろしければリヒトさんもどうぞ」
「え、いいんですか? わー、ありがとうございます」
受け取る半人前の手元を見ると、それは俺が受け取ったのと同じ包装・同量の包みだった。
(…………)
何となく面白くない。
そんな風に俺が小さなヤキモチを焼いてしまったことには気付いていそうもない女は、半人前に渡し終えるとニコニコしながら俺の傍に戻ってきた。
「それから、オーガストさんにはもう一つ」
女は近くの椅子に載っていた布のようなものを手に取り、それを俺の首に回した。首元にふんわりとした感触。何をされたのかわからず硬直した俺だったが、それが何なのかはすぐに判明した。
「オーガストさん、いつも薄着でいらっしゃいますから。少しでもあたたかくしていただければと思いまして、マフラーを編んでみました。編み物は不慣れなもので皆さまの分は作れなかったので、これはオーガストさんにだけです」
俺にだけ。その言葉に胸が弾む。
「そうか……ありがとうな。大事にする」
そっと髪を撫でながら礼を言うと、女は嬉しそうにうふふと微笑んだ。
fin.
2022年のifバレンタインSSでした。
オーガストは余裕ありげな容姿に反してヤキモチ焼き。
好きな人からは特別扱いされたいタイプのようです。